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広島県発祥のゲーム関連会社、『KEMCO』と『コンパイル』。その光と陰

ゲーム
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広島伝説の企業 「コンパイル」

もうね、広島にこんな企業が現れるなんて誰も予測してなかったんですよ。

「コンパイル」

名前聞いてピンとくる人とそうでない人が分かれるのも時代の流れでしょうか。
今でこそ、セガのものになったあの落ちものパズルゲーム「ぷよぷよ」がヒットし、まるでテルミットが発火したかのように燃え上がり、その火が大きくなり…燃え尽きた企業。

元々はセガの下請けベンチャー

セガの下請けとして作品開発や移植をしていたコンパイル。
広島電鉄の社員だった方が設立したわけですが、1980年の中頃には『ザナック』、『アレスタ』などのシューティングゲームで名を知られることとなります。

ザナック
アレスタ

空前の落ちものパズルゲームブームで狂気のヒット

1990年代。
世は『テトリス』、『コラムス』、『Dr.マリオ』といった落ちものパズルゲームのブームが到来。
各社、自社ゲームの設定を流用した似たり寄ったりのゲームをリリースする最中、コンパイルは以前よりリリースしていた『魔導物語』のキャラクター“ぷよぷよ”をくっつけて消す『ぷよぷよ』を1992年にリリース。

世間的にはSFCでのイメージが強い『ぷよぷよ』ですが、最初はFCのディスクシステムとMSX2でのリリースで、しかもこの作品のアイコン的存在の女の子「アルル」はパッケージとタイトル画面のみの登場。

それに加えて、連鎖した時の特徴的なボイス「ファイヤー、アイスストーム、ダイアキュート、ばよえ~ん、ばよえ~ん」は非搭載。

その後、アーケードでリリースされたものから馴染み深い『ぷよぷよ』の諸々が搭載されたものとなりました。

そして、アーケード版がヒット。

それを後押しするかのようにメガドライブ、SFCでの移植版がリリースされ狂気の大ヒットとなります。

急激な事業拡大

ぷよぷよは続編の『ぷよぷよ通』も破竹の勢いでヒットし、まるでバブル期のような「永遠」を感じられるような状況でした。

その後、コンパイルは関連グッズとして広島名物の「もみじ饅頭」を基にぷよぷよの形の饅頭「ぷよ饅」を発売。当時は新しい広島名物くらいの勢いで人気を博しました。
「元祖ぷよ饅本舗」という実店舗をオープンするほどです。

ライブもしてたり

1995年にはオートバイレーシングチームを結成

1996年、「全日本ぷよマスターズ」を開催。幕張メッセに18,000人を集める。

1998年、なぜかビジネスソフトの分野に参入することを目論み、グループウェアを開発

その後も「ぷよぷよランド」を思い出の地、幕張メッセ付近に建設する計画を立て、大量の新入社員を採用。韓国に関連企業を設立。

この時点で、地元広島でも各メディアで取り上げられる。

3作目『ぷよぷよSUN』、スベる

事業拡大をする中で、後ろ盾になる作品はぷよぷよしか無いにも関わらず、予想外に3作目が売れず、その上巨額の開発費を費やしたグループウェアも売れない。

結果、1998年3月に経営破綻。

『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権をセガに譲渡することとなります。

1992年のぷよぷよリリースから僅か6年の出来事でした。