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LUNA SEAと家族写真とヤニのミステリー

コラム・エッセイ
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BBHと名乗ってこのサイトを運営しているのですが、本業は会社経営をしています。
「会社」とはいうものの、個人事業主の少し向こう側へ行った感じをイメージしてください。事業内容は、Webサイトの制作をやったり、リフォームなんかの施工を請け負う代理店的なお仕事を全部ひっくるめて「デジタルもアナログも作りますよ」と謳っています。
リフォームのお仕事のメインは、マンションから住人の方が退去された後の一般的なリフォーム工事なのですが、たまに諸々な事情で残置物(部屋にそのまま残っているもの)の撤去を工事の前にしなくてはならないことがあります。

その理由というのは、おおよそ3つ

  • 夜逃げ
  • 孤独死
  • 家賃滞納による退去命令

先日、家賃滞納による退去命令にも関わらず、全く物を運び出さなかった部屋の残置物の撤去についての見積もり依頼があり、現調(現地調査)に行ったのですが、少しなんとも表現しがたい気分になったのです。その物件は築30年、6階建。1・2階はテナントスペースで、3階から上が住居スペースになっている。
1つの階に2DKの間取りで15部屋があるので、全部で60部屋だ。
住人の退去後のリフォームは必ずウチに依頼があり、管理人のおばちゃんとも非常に仲が良い。

いつも必ずマンションのエントランスでコーヒーを買ってくれている。「今日はコーヒー買わなくていいよ?」と言っても、必ず買ってくれる。そして、毎回コーヒーを飲み終わるまでの間、ひたすらおばちゃんの愚痴を聞く。飲み終わった缶を捨てる頃には、おばちゃんの機嫌が2割増ぐらいにはなっている。

これまで5年近く聞いてきた、おばちゃんの愚痴の中にチラホラ出てきた人が住んでた部屋の残置物撤去のお仕事。入居から丁度20年だそう。部屋に向かうエレベーターの中で「鍵開けるけど、私は入らんよ?笑」と笑いながらも眉間にシワを寄せて言うおばちゃん。「ヤバいん?」と聞くと「匂いがすごいのよ」と。

部屋の前に到着。おばちゃんが鍵を差し込んでドアを開け、ドアを持ったまま「開けて待っとくわぁ」と。部屋の中からは、猛烈なタバコのヤニ臭さ。この手の調査の場合、土足で部屋に入る。

恐らく、部屋を締め切ってチェーンスモークしていたであろう部屋だと容易に予想がつく匂いと、一面茶色くなった部屋。イメージとしては昔ながらの町中華の油まみれの厨房が全室にあるみたいな(きれいな厨房の町中華もあるけど)。

台所には絶妙に古い冷蔵庫と炊飯器、そしてなぜかママチャリが置いてあり、しかも走れる状態ではない。流しには料理を作った後に水を溜めたままのフライパン。調理台にはモンエナの未開封缶が数本。それら全てがホコリとヤニで薄ら茶黒い。

ただ、短時間でもそこにいると目が慣れてくるもので、入室時は全てゴミに見えるくらいの汚さなのに、細々したものを識別できるようになってきた。

最初に気づいたのは、壁に貼られてる『LUNA SEA』のポスターと、棚に雑多な感じで並べられたLUNA SEAのCD。ポスターには“2010 TOUR”と書かれている。ちなみに、調べてみたところLUNA SEAが2023年に久しぶりにライブをしたという記事があり、13年ぶりとのことだった。なので、最後のツアーという意味合いで貼っていたのかもしれない。

パッと見、ただの汚いプラスチックの箱に見えたのは、DELLのPC。Windows Vistaのシールが貼られていた。洗濯機の横においてあるので、ここが定位置なのだろう。

VHSのビデオテープとDVDが並べられている棚もLUNA SEA一色。

ただ、一貫して言えるのは2010年頃の文化水準で時が止まっている印象。

そして、主にテレビを観ていたであろう洋間の床に写真が一枚落ちていた。真ん中に高齢の男性と女性が椅子に座っており、その左に20代後半の男性と女性が、右には30代前半くらいの女性が立っていた。
明らかに写真館で撮影された家族写真で、全員キレイ目な格好をしている。右の女性には見覚えがあった。同じマンションの別室の施工や打ち合わせの際に、エントランスで何度か見たことのある女性。ただ、写真の中の彼女とは違い、脂ぎった髪を一つにくくり、耳の後ろに垢が黒ずんで、冬でも半袖という出で立ち。なんとなく“わけありなんだな”と思わせる女性でした。

「あぁ、あの人の部屋か…」と思いはしたものの、見積もりのために電化製品や家具の数をさっさとメモした。

一通りの事前調査を終えて、次の目的地に移動中ふと部屋で見た写真を思い出して、それに連鎖されるように、『嫌われ松子の一生』という映画を思い出した。

町中なんかんでたまに見かける、ホームレスや俗に言うちょっと距離を置きたくなるような身なりの人。20代の頃は「うわ、やべー」みたいな直感的な反応をしてしまっていたけど、年齢を重ねるごとに「人生色々あるんだろうな」みたいなぬるりとした温厚な見方になり、やがて「この人のバックグラウンドには何があるんだろう?」と追求しようのないネジ曲がったロマンを感じることもあった。その“変なロマン”を勝手に発想させるきっかけとして『嫌われ松子の一生』の影響は大きかったのかもしれない。

さっきみた写真の感じからすると、それなりに金持ちぽかったから、事業がうまく行かなくなって一家離散とかそんな感じなのか?それとも何かしらの理由で精神的に病んでしまったとか?と、正解の無い正解を調査する気もないミステリーと、ただ妙な切なさと悲しさだけがぼわぼわとゆるーく頭の上で渦を巻いていた。

こんな感じの人って、日本全国にたくさん居るのはテレビの特集なんかで目にしたことがあるから特段レアなことでもない。ただ、その個々の愛でたもの知ることってなかなかない。そしてそれを目にすると、おもしろいことに(不思議なことに)人物像が浮かび上がってくる。このときは幸せだったのかなぁとさえ思う。いや、待てよ。勝手にこの人の今を不幸であると決めつけるのはおこがましいのかもしれない。実は今が一番幸せなのだとしたら、それはそれでいいのかもしれない…。

などと考えて、結局のところ「人の幸せって勝手に決めちゃならんな」と思った次第です。