私が営業職に就いている時、とんでもない田園地帯の町に行くこともあったのですが、緑あふれる風景の中で、ちょくちょく見かける看板がありました。
『ワシントン州立エドモンズ大学日本校』
おおよそ、電話の権利で借金させてくれる系の金融の看板とセットで見かけたのですが、当時は気にも留めてなくて、せいぜいそれっぽい名前の予備校だったりするんだろうなぁ…程度に考えていました。
で、ある時なんとなく気になってインターネッツで調べ上げたところ、なかなかウサンが臭かったのでちょっとまとめてみます。気になってる人はきっとスッキリするかと思います。
エドモンズ大学日本校の概要
- かつて兵庫県神戸市北区大脇台に存在した各種学校。
- 校舎は北鈴蘭台駅から東へ2kmの兵庫県道16号(俗に言う明石神戸宝塚線。六甲山ドライブウェイ)沿いにあった。
- 米国のワシントン州立エドモンズ大学(コミュニティ・カレッジ)の名を冠するが、カリキュラム等の連関や交流は無く、実質的には無関係であった。
- 理事長は溝田弘利
テレビCMも
「大学行くには頭が足りない、留学行くにも金がない、だから僕らはエドモンズ!」というフレーズのテレビCMを盛んに流していたらしいのですが、その動画は見つかりませんでした。
その代わりと言ってはなんですが、入学斡旋用の動画はありました。
沿革
- 1990年(平成2年)4月1日 理事長溝田弘利神戸市議(当時)によって開学。
- 1993年(平成5年)4月1日 東京校を開校するも、わずか2ヶ月で閉鎖。
- 1997年(平成9年)3月31日 閉校
たった三行の沿革に、少し鳥肌が立ちました。
校舎跡は長らく廃墟と化していたが、その後老人福祉施設として再生したそうです。
ちゃんとした大学なのか?
沿革を見た時点でそうではないのは明らかなのですが、正式な大学の認可は受けておらず、卒業しても大卒の肩書は付かなかったとか。
「国に働きかけ、法整備をして在学中には認可を取る」との説明はあったもののバブル崩壊と同時期に閉校したそうです。
溝田弘利
理事長のこの方について
1955年(昭和30年)関西大学文学部卒業。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E7%94%B0%E5%BC%98%E5%88%A9
先代の前社長溝田利松が1930年(昭和5年)5月に個人で創業した溝田旗工業の跡を1984年(昭和59年)3月に利松の死去にともない引き継ぐ。
同時に神戸市会議員も務め、市会議長などを歴任する。
その後、1992年(平成4年)には国政選挙にくら替えするため市会議員を辞職し、第16回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区に出馬したが落選(78,413票、10人中7位)[1]。供託金も約6,000票差で没収された。
なかなかな感じです。
気になったのはこの続きのこれ
1983年(昭和58年)には、学校経営にも乗り出す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E7%94%B0%E5%BC%98%E5%88%A9
神戸弘陵学園高等学校を設立し理事長に就任。
さらには姫路学院女子短期大学を買収して「ひめがくキャンパスランド」を名乗り学長におさまるが、大学(学校法人)の認可が得られず。また著名人を教授に迎えようとしたり、キャンパス内に遊園地・動物ふれあい牧場(ポニー牧場・わんわんランド)・スポーツクラブ・自動車教習所・スーパー銭湯などを併設する奇抜な構想を試みる。
「やってんなぁ」
前々から、やってますね。
短大、大学の経営にはあまり向いていなかったようです。
まとめ:『エドモンズ大学』日本校とは
シンプルにバブルの泡に消えた、大学じゃない〝大学を名乗る〟ヤツ。
やはり、認可が降りないのにはそれなりの理由があるってことでしょうね。