『みのもんた』は、日本のテレビ史に名を刻んだフリーアナウンサー、司会者、タレント、実業家だった。
本名・御法川法男(みのりかわ のりお)、1944年8月22日生まれ。2025年3月1日未明、80歳で亡くなったことが関係者により明かされた。
死因は公表されていないが、2019年にパーキンソン病を公表し、闘病生活を送っていた。1月中旬に心肺停止で入院し、一時意識不明の重体に陥った後、自宅に戻ることなく逝去。
葬儀は故人の意向で家族葬となり、弔電や供物は辞退された。全盛期にはレギュラー番組を16本抱え、「1週間で最も長時間テレビの生番組に出演する司会者」としてギネス記録に認定された彼は、視聴率を稼ぐ“テレビの王様”として君臨した。
しかし、次男の事件や健康問題で表舞台を去り、その存在感は薄れていた。『みのもんた』とは何だったのか。その生涯と影響を振り返る。
『みのもんた』の誕生と初期のキャリア

みのもんたは東京都世田谷区に生まれ、立教中学、立教高校、立教大学経済学部を卒業した。
長嶋茂雄への憧れから立教を選んだという。
1967年、文化放送に入社し、アナウンサーとしてキャリアをスタート。深夜番組『セイ!ヤング』で人気を集め、「♪みのみのー、もんた、みのもんた」という独特の節回しがリスナーの記憶に残った。プロ野球中継のベンチリポーターや、フジテレビの『オールスター水泳大会』の司会も務めたが、1979年に営業部へ異動となり、同年退社。父が創業した水道メーター製造会社「ニッコク」で働きながら、フリーアナウンサーとしての道を模索した。

フリー転身後、初のテレビ仕事は1980年の『プロ野球ニュース』(フジテレビ)司会だった。ここから、彼の快進撃が始まる。1989年、日本テレビ『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会に抜擢され、視聴者の悩みに答える親しみやすいスタイルで人気を博した。「お嬢さん」と観客に呼びかける姿は、彼のトレードマークとなった。実業家としても「ニッコク」の社長(1999年-2020年)、後に会長を務め、芸能とビジネスの二足のわらじを履いた。
全盛期:テレビを席巻した“みの節”

みのもんたの全盛期は2000年代だ。『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS)、『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ)、『どうぶつ奇想天外!』(TBS)、『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ)など、在京民放5局全てでレギュラー番組を持ち、2006年には「1週間で最も長時間テレビの生番組に出演する司会者」(21時間42分)としてギネス記録に認定された。睡眠時間は2〜3時間で、テレビ局のホテルに泊まり込み、自宅へは余裕がある時だけ戻る生活だった。

彼の魅力は、歯に衣着せぬ発言と親しみやすさにあった。『朝ズバッ!』ではニュースを明快に解説し、時に政治家を意識させる影響力を持った。『おもいッきりテレビ』で紹介した健康食品がスーパーで売り切れる現象は、“みのマジック”と呼ばれた。2005年には『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務め、その頂点を極めた。Xでは「みのさんの番組は朝の定番だった」と懐かしむ声が今も多い。
多面的な活躍とその影響
みのもんたの影響は、司会業にとどまらなかった。実業家として「ニッコク」を経営し、芸能事務所と水道メーター事業を両立。妻・靖子さん(2011年死去)はスタイリストとして支え、長男はTBS、次男は日本テレビ、長女は母の後を継ぎスタイリストに。家族ぐるみでエンタメに関わった。

番組では社会問題にも触れ、反戦を訴える姿勢を示した。母の戦争体験や沖縄での取材がその背景にあり、憲法9条を支持する一方、国旗・国歌には肯定的だった。また、『愛の貧乏脱出大作戦』では経営難の店主を指導し、過激なダメ出しで話題に。Xでは「根性論がすごかった」との声が残る。教育や健康への関心も高く、視聴者に生活の知恵を伝えた。
転落のきっかけ:次男の事件とセクハラ疑惑
みのもんたの転落は、2013年に始まった。同年8月30日、『朝ズバッ!』の生放送で、共演者・吉田明世の腰付近に手を伸ばす場面が映り、セクハラ疑惑が浮上。TBSは「紛らわしい行為だった」と注意したが、火種は収まらなかった。同年9月、次男が窃盗未遂で逮捕されると、世間の批判が殺到。報道番組の司会者としての信頼が揺らぎ、「夏休み」を理由に一時休止後、ほとんどの番組を降板した。
2019年、吉田との共演で真相が語られた。みのもんたは肩を押す遊びが誤解されたと否定し、吉田も同意したが、イメージ回復には至らなかった。Xでは「コシモンダ事件が印象深い」との反応が今も見られ、彼のキャリアに暗い影を落とした。
晩年:パーキンソン病と引退

2018年頃、みのもんたはパーキンソン病と診断された。2019年秋、知人の葬儀で体が傾く自覚症状から検査を受け、病名が判明。手足の震えや動作緩慢が進行し、起き上がりに20分かかることもあった。2020年3月、『秘密のケンミンSHOW』を降板し、テレビから姿を消した。「若いタレントのテンポについていけない」と引退を決意したが、同年8月、関西ローカル『朝からみのもんた』で半年ぶりに復帰。しかし、これが最後のレギュラーとなった。
2025年1月16日、高級焼肉店で肉を喉に詰まらせ救急搬送され、命に別状はなかったが、パーキンソン病の進行が疑われた。同月、心肺停止で入院し、3月1日に逝去。晩年は鎌倉の自宅で妻の骨に話しかけ、酒を楽しむ生活を送っていた。Xでは「みのさんの明るさが懐かしい」と惜しむ声が多い。
『みのもんた』の現在の評価と遺産
2025年3月、みのもんたの死去に際し、反応は分かれた。Xでは「朝ズバッ!の歯切れよさが好きだった」「セクハラや次男の事件でイメージが落ちた」と賛否両論だ。全盛期の影響力は認められつつ、晩年のトラブルが記憶に残る人も多い。
彼の遺産は、テレビの情報番組文化への貢献だ。生活密着型の司会スタイルは、後進に影響を与え、健康ブームの火付け役ともなった。一方で、過労とも言える働き方や、コンプライアンス意識の欠如は現代への教訓でもある。
まとめ:『みのもんた』の時代と終焉

『みのもんた』は、1967年のデビューから2025年の逝去まで、約58年にわたり日本のメディアを彩った。ギネス記録の働きぶりでテレビを席巻し、視聴者に親しまれた一方、晩年の病とトラブルで静かに幕を閉じた。家族葬で送られた彼の人生は、栄光と挫折の両方を体現した。
みのもんたとは、テレビ黄金期の象徴であり、時代の寵児であり、そして人間らしい弱さを持った存在だった。その功績を振り返ると、メディアの力と個人の限界が交錯する姿が見える。興味があれば、彼の過去の番組を覗き、その“みの節”を味わってみるのもいいだろう。
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