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私の友達は美人が多い

コラム・エッセイ
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私の友達は美人が多い。個人のサイトなもんでフェミどうこうを気にすることなく書かせてもらうのだが、ここで言う「美人」とは女性のことだ。

そんな美人のうちの一人は高校の同級生で、サロンを個人で立ち上げた。そのサロンの広告諸々を手伝っている関係からさらに繋がりが生まれて美人な女性の知り合いが増えている。

思い返してみると、自分の友達には美人が多いなと思う。誤解のないように言うと、顔をみて交友関係を絞っているわけではない。なんなら、先に挙げた同級生は高校時代は全く喋っていなかったのだが、30代中頃で同窓会的な席である意味「ハジメマシテ」みたいな挨拶から、12年越しくらいで知り合って仲良くなった感じなんです。

老眼を受け止める美人

そんな、彼女とチラシの打ち合わせのあとの一コマ。

「私さぁ、老眼鏡ついに買ったのよ」
「行きましたか、そっち側に!」
「いや、でもね、“一番最初のやつ”なのよ。見えない時にだけ付けるやつ」

なんでも、夕方になると細かい目盛りとか見えにくいらしい。
その時だけ、使用する老眼鏡の“初歩のヤツ”だと眼鏡屋さんも言ってくれてるらしい。インスタにもアップしていて、メガネ女子好きにはウケの良さそうな感じだった。

やっぱ、そういうところが美人が美人である理由なのだと思う。
老眼という、老いを如実に己に訴えかけられ且つ老眼鏡で周知させてしまうという、負の側面しかなさそうなものを、メガネ女子というプラス要素に持っていけるフレーム選び。見習うべきことでもあり、ある意味、以前に書いたスキンヘッドの記事に繋がるものかもしれない。

「私はね、抗わないようにするの」

その潔さは、男目線では凛々しい美人に見え、女目線では憧れる女性に見えるのかもしれない。
つまり、人間として美人なのかもしれない。

このくだりで、ふと先日観た「男はつらいよ」の第一作目を思い出した。

涙腺強度と煮物旨味

「こないださ、“男はつらいよ”観てさぁ、泣いたのよ」と口火を切って、ついついベラベラと語ってしまった。

そこから、ツラツラと前田吟がどうだの、寅さんはマドンナに一目惚れして、うまいこといかなくてもマドンナの幸せに喜んで…ってフォーマットと思われがちだが、一作目はそうじゃないだの語ったのだが、結局は歳を取ったら涙もろくなるという結論に至った。

歳を取ると涙もろくなる。

すんなり入ってくる、ある意味世間の共通認識みたいなことだが、以前から、これについて分析を脳内でしていた。

簡単に言うと、自分の経験と似たような場面を映画やドラマ、はたまた道端で目にすると涙腺がキュッとくる。

もしかしたら、ガキの頃美味しいと感じなかった煮物が急に美味しく感じるのとにているのかもしれない。

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ビットの味わいは宝物

話を戻して、美人の話。

アラフィフになっても独男な私、これまでそれなりの人数と付き合ってきたのですが、お陰様で結果としてとんでもない女だったという経験は少なく済んでいます(と思いたい)。

とは言え、なかなかの仕打ちを受けたこともあった。人に話すと「うわぁ…」って感想もらう程度のやつだけど、それも今となっては小学校の時の机の奥にクチャクチャになってる算数の小テストの答案程度の扱いになってる。

それとは逆に、楽しかった元彼女との思い出はきれいな引き出しに収めてある。
当然の、自分にとって美人である。

今はSNSの類の存在で、ある意味便利なのか判断はそれぞれではあるが、元彼女の現在を比較的簡単に見かけることができる。“見かける”って言葉をチョイスするあたりに、ささやかなプライドを込めてしまってるのだが、今見ても美人である事が多い。

かといって、今からこの女性にときめくかと言ったら、そうでもない。

いい意味で例えるなら、昔クリアしたゲームのリメイク版に手を出さない感じ。
ある程度の結末と、攻略法を知っているのとあの時のワクワクを大事にしたい気持ちの両方という感じ。

そして、ビアンカ派であることを変えるつもりもないのだ。

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結局、美人とは何なのか

つまり「美人」とは単に視覚的に美しいだけでなく、例えば聴覚(声)や臭覚(臭い)、触覚(肌ざわり)は言うに及ばず、情感を刺激する雰囲気や所作、となりまで含めた全体的な魅力によって相手に内的快感を起こさせる女性と定義することも可能なのです。

https://www.leon.jp/health/8175

調べてみて思いの外しっくり来た。

確かに自分は、美人だったり可愛いかったり外見的なところから入るのは確かにある。でも歳とともに、“外見だけ美人”を察知すると距離を取るようになってきた。それなりの年数生きてきた動物としてのリスクマネジメントだと思う。

男にしても女にしても、外見はそれなりでも、その魅力を爆発的に上げる性格の良さや、所作を持つ人がいる。私はそういう人のほうが魅力的に感じる。

言い方を選ばないなら、いい歳になってからは人間関係の取捨選択をするようにもなった。
だからこそ人間としての美人しか周りにいないのかもしれんです。